そんなこんなで
台湾へ
人生初の外国
高校二年生
スペックは、私(言い換えれな高田純二)(純二に謝れ!)(適当で行き当たりバッタり)
あの時は、出発が決まった時がテンションのマックスで
到着した時は、不安しかなかった
最初にお世話になったお家は
同い歳の女の子とお姉ちゃん弟がいる三兄弟と
お母さんお父さんおじいちゃんがいるお家だった
印象に残った出来事は
おじいちゃんが流暢な日本語を話していたこと
当時は、最後の砦!
と自分に都合のいいことしか考えてなかったけど
日本語が話せるのは、植民地の名残り
現在は親日の台湾
頭が下がるなあ
初めて台湾に行った時から
好きな外国の一つ